古関すまこ プロフィール

——日本 ‐ ヨーロッパ ‐ 広大で極小の宇宙(細胞)の声

京都に生まれ、金沢で幼少期を過ごす。 父親の仕事(数学科教授)のため、金沢城跡にあった金沢大学と官舎の周辺が遊び場であった。加賀百万石の古木の桜吹雪、雪深い冬、城跡の茂みや石垣に潜む精霊と一人芝居を演じていた日々は、のちの舞踏につながったかもしれない。

その後岡山に移り、中学・高校時代を過ごし、進学率を競う学校の方針に押されて東京大学に進学。心理・哲学を学ぶが「体ごと命を燃焼させる」実感を求め身体表現の道に向かう。

早稲田小劇場の鈴木忠志に師事し、身体と声の関係性と憑依の演劇の基礎訓練を受ける。その後、大野一雄の弟子・三浦一壮に師事し舞踏を学ぶともに、坪井香譲に新体道(合気道から派生した武術)を師事する。

1977年、フランスに渡り、以後40余年にわたりヨーロッパ各地で舞踏家として活動。ジェルゼイ・グロトフスキー、フィリップ・レオタール、ドミニク・デュピュイら著名な演劇・映画・舞踊界の芸術家たちと交流し、西洋的な舞台構成法などを吸収する。

同時に新体道・太極拳などの【気】の技法を深化させ、西欧的構成法と日本的身体技法の融合がル・モンド紙などでも高い評価を受けた。 テロの標的になったことで有名になったバタクラン劇場における『聖餐の城』(ベルナール・ノエル作)の40日公演には毎日500人が詰めかけ総計2万人の観客の感動を呼んだ。

さらに日本でも有名なアルベール・カミュやジャン・ルイ=バローらと親交深いカトリーヌ・セレルスと共演しアンリ・ミショーの『影の空間』をラ・クリエ国立劇場やロン・ポワン劇場(旧ルノー・バロー劇場)で上演。

2000年にはフランス演劇の殿堂コメデイー・フランセーズでジャン・ジュネ作品『女中たち』の上演にあたり役者の身体指導の任に当たり特筆された。

2005年ころよりは日本とヨーロッパを行き来する生活開始。

放送大学准教授を勤め、また岡山芸術創造劇場ハレノワ公演などを行う。障碍者とのかかわりも深く、就労施設「ありがとうファーム」とかかわったり、東田直樹の『自閉症の僕が跳ぶわけ』の世界を『光の粒子』の題名でヨーロッパ3か国で上演している。

旭川河岸での【満月下舞踏会-異世界お散歩】のイベントなどを行いつつ、【細胞に光とエネルギーを受け取り、深い無意識の記憶を開放する舞踏】を世界に発信し続けている。